奇しくも、友人がある局面で「ありがとう、と、ごめんね」を繰り返していたけれど、長い間「ありがとう、と、ごめんね」 が愛の表現の最終形態ではないか、という自身の仮説を物語化して、映像におさめたいなあ、という願望を抱いている。
その構想を、今年一年かけて、じっくりと真剣にまとめてみようかなぁ、などと思っている今日この頃です。
onestepgoon will open the next door.
奇しくも、友人がある局面で「ありがとう、と、ごめんね」を繰り返していたけれど、長い間「ありがとう、と、ごめんね」 が愛の表現の最終形態ではないか、という自身の仮説を物語化して、映像におさめたいなあ、という願望を抱いている。
その構想を、今年一年かけて、じっくりと真剣にまとめてみようかなぁ、などと思っている今日この頃です。
久しぶりにライトな本を読みました。やっぱり柳澤さんにお会いしたくなりました。組織として、実行している、実行できる環境とプロセスを構築している柳澤さん達が素晴らしい。
強い紐帯(頻繁に顔を合わせる、よく会うなどの関係)は、濃密なコミュニティを生むが、閉じたコミュニケーションしか生じないので、意図せざる結果が生まれにくい。
弱い紐帯(会わないが、たまに連絡をとるなどの関係)は、それそのものがコミュニティを形成することはないが、コミュニティ間のブリッジとなるため、意図せざる結果が生じやすい。
つまり、弱い紐帯がコミュニティ間の混血を促す。そして、混血こそが、新しい情報をもたらし、イノベーションを促進する。