
八月,お盆の静けさと蝉時雨の中,私たちはあの日を迎えます。
八月十五日―太平洋戦争が終わった日。
この国のため,大義のために命を落とした多くの人々のことを想わずにはいられません。戦争礼讃の意図はなくとも,その犠牲の重さと残された者の思いに,ただ静かに頭を垂れます。
久しぶりにわずかな一人の時間がつくれた朝。着実にタスクをこなし,膨大だったTODOリストもようやく1画面に収まるまでになってきました。しかし,残るのは時間を要するものばかり。それらにも期限はあり,1日1日,ヒタヒタと音を立てて締切が迫ってくる恐怖と闘っています。今日はオンラインインタビューが1件。その後は妻の実家へ移動します。
私は戦争映画や戦争に関する小説・漫画が好きです。なぜ戦争に惹かれるのか―お盆の時期だからこそ,命を散らした諸先輩方の英霊に敬意を込めて考えてみました。
前提として,私は反戦(非戦)の立場です。戦争礼讃には興味も理解もありません。核による自衛も抑止力も,平和ボケと罵られようが断固反対です。唯一,生存(自衛)のための闘争(防衛戦)のみ,やむをえず容認します。恐らくそのときは嫌ですが,それでも大切な人を守るために武器を取り,戦うでしょう。だからこそ自衛隊の皆さんには敬意を払い,そして憲法9条改正には反対の意思を表明します。
これまで「ローン・サバイバー」「ブラック・ホーク・ダウン」「プライベート・ライアン」「バンド・オブ・ブラザーズ」「ザ・パシフィック」「ゼロ・ダーク・サーティ」「ワールド・オブ・ライズ」「13時間 ベンガジの秘密の兵士」「フューリー」「ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!」「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」「遠すぎた橋」「ダンケルク」「ハクソー・リッジ」「1917 命をかけた伝令」「戦場のピアニスト」「戦場のメリークリスマス」「ハンバーガー・ヒル」「シン・レッド・ライン」「ティアーズ・オブ・ザ・サン」「カジュアリティーズ」「キル・チーム」「グリーンベレー」「ネイビー・シールズ」「SEAL Team/シール・チーム」「デルタ・フォース」「ザ・ユニット 米軍極秘部隊」「S.A.S. 英国特殊部隊」「フルメタル・ジャケット」「ハート・ロッカー」「ホース・ソルジャー」「グレイハウンド」「ミッドウェイ」「グリーン・ゾーン」「グラディエーター」「告発のとき」「7月4日に生まれて」「ジャーヘッド」「砂の城」「勇者たちの戦場」「ドローン・オブ・ウォー」「300<スリーハンドレッド>」「戦艦大和」「宣戦布告」「レッド・オクトーバーを追え!」「ひめゆりの塔」「地雷を踏んだらサヨウナラ」「ハウルの動く城」「火垂るの墓」「キングダム」「幼女戦記」「木の上の軍隊」「もののけ姫」「壬生義士伝」「風の谷のナウシカ」など―これでもなお書ききれないほど観て(読んで)きました(いずれも邦題)。
当初は,極限状態の人間心理や,人を殺す・殺されることの必然性の有無に興味があるのだと思っていました。しかし最近,自分の人生における最大の関心は「関係性」であることに気づきました。大学(学部)の選択,卒論テーマ,職業選択,大学院での研究テーマ―すべてがこの言葉で説明できます。そして,私が戦争に関心を寄せるのも,この「関係性」がテーマなのだと認識するに至りました。
戦争は不思議な行為です。太古から存在し,生物の原始的な営みといえるかもしれません。「生」が命題の生物は,他者の「生」を奪ってまで「生」を選びます。ここまでは理解できます(実際に自分ができるかどうかは別として)。
しかし,人間が集団となり「社会」を組織したとき,おかしなことが起こります。ゲーム理論で言えば,パレート最適(Pareto optimality)が社会全体にとって理想状態だとしても,必ずそうなるとは限りません。それは限定合理性(Simon, 1955)が存在するからです。
その結果,戦地では矛盾した現象が生まれます。兵士は自国や自集団の利益最大化のために戦うものの,社会全体の利益は損なわれます(全体から見ればlose-lose)。そして兵士は,作品の中でたびたびこう言います。
俺たちは国や正義のためなんかに戦っているんじゃない。
家族や共に闘う仲間のために戦っているんだ。
(様々な戦争を描いた作品に登場するありふれた兵士の言説)出典:著者作成。
「なら,お互いにやめたらどうですか?」と言いたくなります。しかし、言えない(言ったらそれこそ自分の命がなくなる)のが戦争なのでしょう。
こうした三つ巴の矛盾は,すべて当事者とその関係者の「関係性」で説明可能だと思います。
- 社会全体:本来は協力的戦略(cooperative strategy)によってパレート最適を目指すべきだが,限定合理性もありナッシュ均衡に陥る。
- 国/組織:相手がどう動こうと自国が最適と思える戦略を選び,結果として双方に損失が大きい戦争状態が安定点になる。しばしば,その正当性確保のため「正義」という概念が利用される。
- 個人(兵士):国や正義よりも,身近で即時的な利得(家族・仲間の安全)を目的関数として行動する。
このとき,兵士の行動は国家間ゲームのナッシュ均衡とは異なる「現場均衡」を形成します。それは戦場での協力を支えつつ,皮肉にも国家間ゲームの「戦争」状態を維持する役割も果たしてしまいます。
人を殺したくてたまらない人も世の中にはいるのでしょう。しかし,大多数はできれば人を殺したくないと考えているはずです(そう信じたい…)。にもかかわらず,人が集団を形成した瞬間にこうした矛盾が生じます。
極限下に渦巻く様々な「関係性」―これこそが私の関心です。それを理解したくて,私は戦争を描いた作品を見(読み)続けているのだと思います。
最終的な帰結は『風の谷のナウシカ』のナウシカです。
彼女の存在こそがこの世界の希望です。
どうかすこやかにお眠りください。
世界の平和を祈って🙏