前から見たくて見たくて仕方がなかった番組をようやく見ることができた。マーケティングやMBAが批判されていて誠に面白かったし、何故か涙が出た(批判されて悲しくなったわけではない)。恥ずかしいけれど、思索の一端を披歴したい。
①学校教育で徹底的に「社会のものさし」をインストールされた我々に高等教育でようやく「自分のものさし」を持てと言われるのは滑稽な絵面だなと思った。いや、高等教育だからこそ意味があるのか?そのあたりはまだよく分からない。個人的にはだったら「自分のものさし」を持てと最初から言ってくれよ、と思うし、そういう社会システムにすべきなのでは?と思う。自分の子供を見ていると、多少生きづらいかもしれないけれど「自分のものさし」で生きたっていいんだよ、と思うし、最近はそのように伝えている。(その境地に至るまでに11年を要した)
②私は「自分のものさし」で生きることを真っ向から肯定する。私は両親ともにそういう人だったので、人一倍「自分のものさし」で生きることを渇望している気がする。
③一方で「自分のものさし」と「社会のものさし」の狭間で葛藤し続けた人生であったので、「自分のものさし」で生きる、生きづらさのようなものを強く感じている。
④故に、生き抜くために「社会のものさし」で“勝ち抜く”術を提供すること(しかし、勝ち抜けるかどうかは分からないことも併せて伝えている)を「自分のものさし」のひとつとして定めた私の人生は宮野先生から見たらとても滑稽に映るんだろうな、と思う。自己矛盾してるやん、自分、と。確かに。
⑤でも、大学院に進学したあたりから、私の人生はずっと「社会のものさし」と「自分のものさし」の二項対立で苦しんできたが、ここにきてようやく両者が歩み寄り「社会のものさし」と「自分のものさし」の折り合いが少しはついたのではないか、と、自分的には思っている。
⑥マーケティングは決して宮野先生が思っておられるような側面ばかりではない、ということは反論しておきたい(実務におけるマーケティングは宮野先生が指摘されるような側面が強いとは思う)。むしろ私は、そうではない、学問としてのマーケティングの面白さに取り憑かれてこの世界に飛び込んだので、私の「自分のものさし」を否定しないで欲しいと強く願う。
⑦しかし④に戻るが、一方で、私は多くの人が「社会のものさし」で“勝てる”ように研究・教育を行っている。
⑧さらにしかし、で、⑥に戻るが、私が惹かれたのは確かに学問としてのマーケティングであった(ちなみに専門外の方に補足をしておくが、マーケティングとは、私の理解では金儲けのための学問ではない(そのように主張されている先生もいらっしゃって、そのよう側面があることも事実なので、それ自体は否定しない))
⑨故に、学問としてのマーケティングへの還元(貢献)は、私の生涯を懸けた、今のひとつの夢である。
⑩以下、④に戻る。
しかし宮野先生のお名前をどこかで見たことがあると思ったら、知らず知らずのうちにご著書を拝読していた。まずもってご経歴が面白い。不思議なもので、経歴が面白い人は大体面白い。そしてこのような方を重用する京都大学という組織は変態的に素晴らしいなと思う。(経済合理性に支配されざるを得ない、地方私大では余程の英断がない限り、なし得ることのできない人事である)余談ではあるが、宮野先生と、今の私の境遇の一部分が合致し、まったく同じような考えと悩みを抱えていたことは驚きであった。